ねこのひたい~絵日記室<ネタバレなしの映画評?>

 ~ネタバレなしでも、読めばガッカリ~

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【エンドマーク】

読み:えんど・まーく(英語で表記すると「end mark」だが、和製英語の可能性があるため)

類語:エンド・クレジット

用例:「─は人生にはない」「ルーク・スカイウォーカーことマーク・ハミルが遠藤家に婿入りしたら─」

前回の続き)
そして約2時間、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えたあなたを、いまどき珍しい大和魂の持ち主だ、君こそラスト・サムライだラスト・ボーイスカウトだラストマン・スタンディングだとほめてくれる人は誰もいません。むしろ「最後まで立ってる人」は映画館では迷惑です。

そんなわけで、あなたが座って見上げるスクリーンには、おそらく画面下から次々せりあがっては上端に消えてゆく小さな文字が映っていることでしょう。中には、流れる文字の横に痛そうなNGシーンが映されているかもしれません。その場合、耳を澄ますと主演男優が広東語で歌う曲も聞こえてくるでしょう。
映画好きを自認する人であれば、いくらそれらの文字全てが読みきれなくても、主役とはいえカンフー映画俳優の歌を聴かされる必要があるのか理解できなくても、場内が明るくなるまで席を立ってはいけないことになっているようです。
とはいうものの、もしも明るくなって場内にあなたとあなたの右5列前に座った初老の男性がふたりだけ残っていて、しかも振り向いたその男性が嫌いな上司だったりしたら困ります。
あなたに気付いた上司は、やや傾斜がかった場内を出口に向かいながら、近づいてきます。

「やあ、君とこんなところで会うとは、思ってもみなかったよ」

それはこっちのセリフです。
「最近の映画は、エンドマークが出なくてイカンな(*)」とか「最近の若い連中は、エンドクレジットが終わる前にゾロゾロ帰りおって、全くなっとらん」とか、正論めいてますがよく考えたら映画がイカンのか若い連中がなっとらんのかよくわからんリクツをふりまわすオマエが一番おかしいだろ、とはとても言えぬまま、「どうだね、喫茶店でも寄って、ちょっと話さないかね」なんて言われる前に、適当な言い訳を考えて逃げる必要があります。
それがかつての恋人だったり、借金取りだったりしたときには、曖昧な笑顔と曖昧な返答でその場をやり過ごすことも可能ですが、翌日もその翌日も顔を合わせる上司の場合そうもいきません。一番いいのは映画館に行く際に、常に胸元に退職届を携帯することですが、映画を見続けるにはそれなりの経済的基盤が必要なわけで、そう易々と叩き付けるわけにもいきません。しかも、叩きつけるにはそれなりの重さも必要ですが、あまりに重すぎて叩き付けた上司を死に至らしめては元も子もありません。

というわけで、次回は「映画館でばったり会った上司への対処法」です。
(続く)


(*)確かに最近の映画のほとんどはエンドマークが出ません。
多くの人は「なぜ出なくなったのか」に疑問を感じるようですが、「なぜ出ていたのか」こそ問われるべきです。
かつての映画は「一巻モノ」と呼ばれる作品が存在していました。一巻とはフィルム1巻のことで約10分、今で言う短編映画ですが、1話完結するものもあれば、今のテレビドラマのように毎週続く「連続活劇」もありました(ちなみに、デッドエンド状態を「これにて、一巻の終わり」と表現するのは、「連続活劇」が必ず危機的状況を迎えたところで弁士が「嗚呼、パアル・ホワイト嬢の運命やいかに。これにて、一巻の終わりであります」と締めくくったことから由来していると、いかにも本当のようなこと書きましたが、真偽はわかりません)。
そうした連続活劇に慣れていた観客に対し、「このお話しは、これでおしまい、次回に続きませんよ」ということを示すために「THE END」と出したのが始まりという説があります。もっともらしいんですけど説得力に欠けるのは、当時、1巻モノでも1話完結のものもあったし、長編映画だって存在しました。初めて映画に物語を導入したというのは半分はウソですが、そういうことにしておくと話が通りやすいジョルジュ・メリエスの映画は、長短編ある作品のほとんどは1話完結ですけどエンド・マークは出ません。出たとしたら後年誰かが勝手に付け加えたものです、たぶん。
それでは、なぜわざわざエンド・マークを出す必要があったのでしょう。

たとえば、ロックンロール(内田裕也用語での表記はロケンロー)では、♪ジャカジャ~ンのあと、やや「間」があって、♪ジャン、で締めくくられる曲がありますが、ライブのとき、その「間」で拍手してしまう人がよくいます。
あるいは、同様にライブで、ルーチンとしてこなしたアンコールなのに、呼べば出てくると思い込んでいつまでも連呼する観客を、帰らせるためにライブハウスが放送を入れる、ということもよくあります。
また、今まさに亡くなった父の遺体にすがり、死なないでと泣きじゃくる娘というのもよく見かけます(まあ、テレビで、ですけど)。

つまり、ヒトというのは「終わり」をはっきりと示されない限り、「終わり」が認識できないのです。
映画館でエンドマークが出なかった昔、場面転換で画面が暗くなっただけなのに終わったと思い込んで帰る人がいたのかもしれません。あるいは、場内が明るくなっても居座り続けて、ついにはそこで暮らし始めた人がいたのかもしれません。もしかしたら始まっていることにすら気付かずお喋りし続けるという、今ではとても考えられないような人までいたかもしれません。
そんな問題も、エンド・マークが付いたおかげで解決です。さらに、エンド・マークさえ出しておけば、どんなに納得のいかない幕切れでも「終わったんだな」とわかってもらえるわけです(そんなエンド・マークの特性を逆手にとって、映画の始まりに映し出すものまで現われました)。
「あなたとは終わったの」といくら言っても聞かない男性には、「THE END」と口紅でオデコに描いて見せてあげるべきなのです。それは「この女に関わると危険かもしれない」と思わせ、さらに効果的だと思われます。

本文よりも脚注が長いのもどうかと思われますが、勢いだけで書いてるんで、そのあたりは、上司ではないあなたには曖昧にさせて頂きます。

ちなみに、最近エンド・マークがでた映画は、思い出せないので誰か教えてください。

あ、それから、本文では「続く」になってますけど、続くかどうかはわかりません。
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コメント

エンドマーク

下妻物語のオープニングに出ましたね

しんさま

ああ、そうでした『下妻』。

さすがです。これからは人生の教師、映画の上司と呼ばせてください。

  • 2005/11/16(水) 16:45:08 |
  • URL |
  • にら(管理人) #lcbXb0/Q
  • [ 編集]

エンドウマメ食う

『いかレスラー』には「終」の文字が・・・
円谷プロそのまんまのロゴで。

  • 2005/11/16(水) 19:54:43 |
  • URL |
  • kossy #YaTS71PM
  • [ 編集]

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