ねこのひたい~絵日記室<ネタバレなしの映画評?>

 ~ネタバレなしでも、読めばガッカリ~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

やましい気分

ふと思うのは、わが子のことです。
ここで言う「わが子」とはウチの子供でも特定の子供でもありません。もちろん、歌手松田聖子さんの長女SAYAKAさんの芸能活動休止と親子間の確執とも何ら関係ありません。



それが悪意などなく、純粋な気持ちでかわいいと感じたからといって、目線やモザイクを入れずに「通りすがりの女子高生」や「隣の奥さん」の画像をホームページやブログに掲載する人は、やましい気分になります。
ところが、それが「わが子」だと、そんな気分にならないようです。

「眠っているわが子」
「ごはんを食べるわが子」

実際そんな画像が掲載されているを見たわけではありませんが、探せばかなりの件数ある気がします。「隣の奥さん」をかわいいと思う気持ちが100とするなら、それ以上か、または同じぐらいの気持ちですが、掲載する人にやましさは感じられません。

「オネショをしたわが子」
「ごはんを食べたくないとすねるわが子」

特殊な状況かもしれませんけど、そんな画像が存在しないとは言い切れないはずです。
そんな特殊な状況ですけど、「通りすがりの女子高生」のパンツが風でめくれた画像を掲載する人よりもやましさは感じません。風でスカートがめくれるのは一生に一度くらいお目にかかるとは思いますが、風でパンツがめくれるというのは、有識者からその道のプロ、アマ問わずあらゆる人に見て頂いて真相究明して欲しいくらい特殊な状況の画像ですから、もしそんな画像をお持ちの方、もしくはそんな経験をされた25歳までの女性は、すぐ連絡してください。


どちらもかわいい被写体であるにもかかわらず「わが子」と「隣の奥さん」を隔てる、その差異はなんなのでしょう。すぐさま思い付くのは「家族」「身内」という概念です。
もう一度、先ほど挙げた例をウェブに掲載された画像としてイメージしてみてください。

「ごはんを食べたくないとすねるわが子」
「オネショをして泣きじゃくるわが子」

それでは、被写体を別の身内に置き換えて、イメージしてみましょう。

「ごはんを食べたくないとすねるお姑さん」
「オネショをしたのを隠蔽するお姑さん」

そこには人を不安にさせるなにかがある気がしますけど、それはさておき、そこに悪意を介在させなければ掲載できないという点で「隣の奥さん」「通りすがりの女子高生」と「お姑さん」には差異がなく、つまり「わが子」は「身内」という概念とも異なる存在だということです。となれば、身内よりも「わが子」に近い存在について考えざるをえません。
残るは掲載する人、つまり「わたし」です。
しかし、「わたし」の顔をウェブ上の不特定多数にさらすことにためらいを感じる人は多いと思われます。だとしたら、「わが子」と「わたし」にすら、差異があるということです。

もしかすると、差異などはじめからなく、「わが子」というのは比較などできない唯一性を持つ特殊なものなのかもしれません。それゆえ「わが子」の画像がウェブで公開することをためらわない、ということなのでしょうか。であれば「わが子」そのものを比較するしかありません。

「1歳のわが子」
「21歳のわが子」

20年の歳月を経ているとはいえ同じ「わが子」です。しかし、21歳のわが子の画像なんて掲載しないんじゃないかと思ったら、行き詰まってしまいました。
「わが子」には、肖像権やプライバシーやアイデンティティーがない(ということになってる)ペットや2本足で歩くレッサーパンダとは異なるヒエラルキーがあるはずですが、ここまで書いて、はずとか気分とか感じるとか思われるとか、ほとんど不確的要素ばかりに基づいて考察することは、とてもいかがわしいことだと気付きました。




てなわけで最も強く言いたいのは、「お姑さん」と「通りすがりの女子高生」に差異がないのはウェブ上で掲載するためらいのレベルであって、間違ってもパンツがめくれたお姑さんの画像なんか送らないでください、ということです(但し、25歳までのお姑さんは除く)。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

-

管理人の承認後に表示されます

  • 2013/11/25(月) 00:57:52 |
トラックバックURLはこちら
http://nekohita.blog6.fc2.com/tb.php/35-2ca65d28
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。