ねこのひたい~絵日記室<ネタバレなしの映画評?>

 ~ネタバレなしでも、読めばガッカリ~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「五線譜のラブレター」

これが低予算だってんだから、恐れ入ります。



DVDのメイキングや音声解説を聞いてると、たしかに、監督のアーウィン・ウィンクラーと主演のケヴィン・クラインが、そこかしこに「われはれは如何に心配するのをやめて、映画を安く仕上げたか」の話をしているのですが、それはまるで、キャビアとフォアグラをほおばりつつ、「きょうはトリュフが無くてね」なんて言ってるようなもんです。
「エキストラ1万人集めて妖怪のモブシーン撮ったけど、3人足りないからCGで増やしといて」なんて言ってるようなもんです。
「本物のイージス艦を沈める予算が無いから、原寸大の船作って沈めようや」なんて言ってるようなもんです。
「国防に廻す予算が無いから、福祉から削っとこうや」なんて言ってるようなもんです。

そもそも、ハリウッド映画と日本映画を、予算だけで比較してはいけないんですけどね。
もしも、日本でハリウッド超大作並みの予算で映画を作っても、それが上映されるスクリーンが日本国内だけだとしたら、どれほど大ヒットしても赤字になるのは目に見えています。それでは世界規模で公開すればいい、と思われるかもしれませんが、あいにく日本の映画会社は、ハリウッドの映画会社のように世界各地に支社も無いので、それも無理とはいえないもののかなり面倒な話です。
どちらも同じ料金体系で、どちらも同じスクリーンに映され、どちらもたまたま同じ「映画」と呼ばれる娯楽ではあるものの、産業としてはまったく別モノなんです。
ちなみに、製作から上映まで政府の手厚い庇護があったおかげとはいえ、世界規模を目指し、それが商業的という点に限ってそこそこ成功しつつあるのは韓国映画です。そんなバカなとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、どんな地方のシネコンでも、上映されている作品の中に韓国映画が必ず1本は入っている、アジアの外れにある小さな島国である日本の現状を見れば納得いただけるはずです。

てなわけで、実際の製作費がどのくらいなのか知りませんが、そんなこととは関係なく、実にゼイタクな今作です。
ピアノを弾くコール・ポーター(ケビン・クライン)を照らすひとつだけ灯ったトップからの柔らかいスポットライトで始まり、ゆっくりとひとつずつライトが点灯して部屋の中が浮かび上がってゆくオープニング。40年にわたるポーターの半生を2時間ちょっとで語る映画なのに、決して慌てることなく、ものすごいCG技術で人を驚かせることもなく、画面の中をたゆたうタバコの煙のようにゆったりと始まる、そのゼイタクさにため息が出ます。
そこに、幻想的に現われるガブリエル(ジョナサン・プライス)はCG合成だと思われますが、まるで部屋片隅の暗いところからタバコの煙をくぐってライトの下へときたかのように見えるので、合成だと気付かない人もいるかもしれません。

そこから映画は、ポーター自らの半生を描いたミュージカル舞台劇のリハーサルを見ている設定で進むのですが、舞台でリハーサルが始まったと思いきや、切り返すとそこは屋内ではなく「現実」の世界、かと思うといつの間にか舞台に戻っているという、コトバで説明するのが困難なので平凡な言い方をしますが、時間も空間も越えた物語となります。
基本的には、同一場面での切り返しショットと思わせて時空を越えちゃうんですけど、時にはカメラがぐるりと回っただけで、それが行われることもあります。
例えば演出家たちしかいないガラガラの観客席や、大道具を運んで装置を作りつつある舞台を背景に、ポーターに歌唱指導されている歌手を中心としてカメラがその周りをゆっくり回り始め、やがて歌手をフレームアウトして回り続けるカメラは、人で満たされた観客席をぐるりと舐めて、完成した舞台と衣装に着替えた歌手が再びフレームインするという、ワンシーン・ワンカットでリハーサルから本番初日まで飛んでいく有様です。しかも、その間ずっと歌は続いているので、流れが断ち切られることもないのでした。

今年で74歳になるアーウィン・ウィンクラー監督ですが、そのエネルギッシュさに、この歳でやたらとバテ気味の自分は頭が下がります。
『ロッキー』や『レイジング・ブル』そして『センチュリアン』のプロデューサーとして半世紀近く前から活躍はしていたものの、60歳で監督デビューしたことを考えれば、監督としての経歴はクエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲスとさほど変わらないんで、その精力的な活動もさもありなん、ですけど。

ゼイタクなのは、劇中でポーターの歌を唄うシェリル・クロウやナタリー・コール、そしてロイド眼鏡のエルビス・コステロといった、歌手陣もそうです。
それぞれ単独で映画の主題歌を担当してもおかしくない面々ですが、コステロ氏が楽曲提供だけでなく顔も出して歌を披露していたとはいえ超大作ではない『メリーに首ったけ』のように、出演させてやるのを引き換えにすれば、意外と安いギャランティーで引き受けてくれるのかもしれません。

それにしても、ケヴィン・クラインって、極めてシリアスから下品なコメディーまでこなせる芸達者といいますか、仕事を選ばないといいますか。
米アカデミー賞俳優でありながら、ラジー賞に輝く『ワイルド・ワイルド・ウエスト』に嬉々として出たりお尻出したりするし(とはいえ、アカデミーも『ワンダとダイヤと優しい奴ら』というコメディーで最低男を演じてもらった賞なんですけど、もしかしたらそのお尻に敬意を表してなのかな?)。
そんな、やたらとお尻を出すクラインですが、『イン&アウト』に引き続き、今回も同性愛者役です。役と本人を混同するのは間違いだとわかっていても、ついフィービー・ケイツとの結婚は、同性愛癖をカモフラージュするためじゃないかと疑ってしまうのでした。そういえば、フィービー・ケイツも、『初体験リッジモンド・ハイ』の、卒業式の場面で半ケツ出してましたから、似たもの夫婦なのかもしれません。半ケツのケイツ、好きだったけど。


これを読んで、今作がなんだか下品っぽいから見るのを止めようと思った人は、甘美でほろ苦いゼイタクさを知る機会を失してしまいますよ。


◆この記事にガッカリした方はランキングに清き一票あるいはこちらに怒りの一票を◆
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://nekohita.blog6.fc2.com/tb.php/85-6c1265f9
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。